カール・ポランニーの評伝を読み進めていて続かなくなった。資本主義に変わる体制を作ることができるかという壮大な問題に対して、答えの一つを提供してくれることを期待して読もうとしたのだった。現代世界の最大問題だと思っているグローバル資本主義を理論的に批判できる考えがポランニーにあるということだった。でもその問題は自分が取り組むには大きすぎるのではないかと思い始めると、読む熱が少し冷めてきて続かなくなってしまった。自分に切実であるか、自分の内部にあることとして感じられないものは所詮受け入れられないという経験則がある。
私がカール・ポランニーの理論を知ったところで何かが変わる訳ではないだろう。しかし私の世界を見る目は少し変わるかもしれない。視界が少し広がるかもしれない。私は変わることができて、他人が支配している世界は何も変わらないとしたら、それをやるべきなのだろうか?
問題は確実に自分が変われるのかという精度にある気がする。英語を学べば、確実に身に付く部分があってその分は自分が変われるという実感がある。でも思想とか理論はどこで確実性を測るかは分からない。明らかに有効である根拠がどこにあるのだろう?
それは哲学の問題になる。宗教の問題になってはいけない。しかし世界はつまるところ経済力で動いている。それは真実に思え、証明は私にはできないが私はそれを信じている、、、