開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

ブログ開設3年目

はてなブログから、このブログが開設まる2年経ったとメールが来た。今日から3年目に入る。自分の書いたものがブログとして2年分の塊になった。具体的に目に見えるストックができたわけだ。フローを続けるのはどこかしんどい所がある。自分に飽きないようにするには、どこか新しい要素を書き加えなければならない。絶えず新しいことを書くにはその都度の自分の状態を否定する必要がある。

この2年分のストックをアドバンテージとする生き方があってもいいと思う。絶えず進むばっかりだと疲れるので、いつでも戻ればいいし少なくとも書くことについては2年分のストックがあることは強みだと思う。ある文芸評論家が村上春樹を自己模倣に入ったと批判していたのを思い出した(そもそも村上春樹を持ち出すのをおこがましいとは自覚している)が、自己模倣も深く進化していけばいいのだ。

今日本棚からカミユの「反抗的人間」を取り出して、適当に開いたページを読んでみた。やはりかなりサルトルを意識しているように感じた。哲学書からかなり引用がされていた。カミユはサルトルほど裕福な家庭で生まれたのではなかった。かなり乱暴な解釈をアンチ・アカデミックに展開していた。昔読んだ時にはチンプンカンプンだったが今では少し理解できそうな気がした。マルクス主義ポストモダンも思潮を失った今、ゼロから自分のために実存主義を捉え直しても悪くない。実存主義とは、個人が社会や歴史に立ち向かう自立的立場を作り出すものだと思う。勝手な解釈だけれど、徹底的に個人に止まりこだわる村上春樹も、私には実存主義者に思える。要は、表面的な装いの新しさに追い立てられることなく、前進と後退を繰り返しながら生きるのが、息苦しくなく自分らしく生きることになると思う。