サラリーマンとして過ごす38年間を除き、高校生から大学生の間ずっと学生運動や反体制、反戦の活動に心惹かれるものがあった。1年間だけは当時自分の身近にいたマルクス主義の党派の人たちの集会やデモに参加していた。しかしいわゆるゼネストやバリケードを築いたりという高揚した時期を経験していないので、闘争を担う活動家ではなかった。だから法律に触れる破壊活動やテロには一切関わっていない。いってみればサークル活動や研究会を少し拡張したものにすぎない。かといっていわゆる内ゲバにも巻き込まれる身の危険はあった(実際1年先輩のSさんは下宿で襲撃に遭った)ので、恐怖は感じなくはない環境にはいた。
これまでなぜ自分がそうした時期のことをきっぱりと捨てきれずにいるのかがわからずにいた。最近「全共闘白書」という本があることを知って、その当時の元活動家の人の生の文章を読むことができた。(73のアンケート項目に526人が回答するという形ではあるが)その中でぼくと同じ年齢の人が一人しかいなかった。少し読み始めて感じたのは、ぼくはその人たちとは全然違う経験をしていたということだった。
ぼくはあのエネルギーが解放感に溢れて好きだった。ひと時だったがとびっきりの自由を実感できていた。必ずしもあの人たちのように正義に基づいて行動したわけではなかった。そこがその当時唯一の居場所だった。生きた思想(生死を賭けた思想とも言える)にも触れ得たことがその後のぼくを作ったと思う。その思想にはイメージも含まれる。その感じを感じ続け、それが何かを明らかにしたい。