開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

立ち止まって自分で考える

以前のぼくのブログで「考えさせられたフレーズ」として、その頃本を読んで気になった箇所を抜き出してメモするつもりで掲載していた。その時はなぜ考えさせられたのか、どのように考えさせられそれを自分なりにどう考えたのかが書かれていなかった。今、書いてみようと思う。中途半端な状態にしておくことはよくないから。

疎外状態にある人々は社会の規範を受け入れることで初めて社会的主体になる。「みんな」の真似をすることが社会的集団から排除されないために必要だ。この模倣は他者と一緒になるという漠然とした企てを含んでいる。だが大衆は自分では「みんな」が何を好んでいるか、その根本を知ることができない。___作者不明

さてこの部分は何か社会学関係の本に書かれた一文のように思われる。自分も大衆の一人として多分就職してから味わった経験を言い当てられたような気がして、この箇所に目が止まったのだろう。「みんな」の真似をして「普通」にならないと、会社の仲間から排除される恐れを感じていたと思う。ぼくの場合は「普通」を装う必要も感じていたかもしれない。サラリーマンだったら、そのような同調圧力はいつも身の回りにあって、ほとんど本能のようになっていると思う。

ただ、ぼくの場合はその本能を疎外状態だと捉える知識だけはそれ以前から持っていた。同調しようとする対象が見えないばかりか、根本を知ることができないと、ここではっきり言われてそれまでの知識が更新されて深まったのだ。ではそれが真実だとしてどうすればいいのだろうか?いつまでも根本がわからず、周囲に合わせて生きていけばいいのか?

ぼくは「大衆」から抜け出して自立する必要があると思う。「大衆」のまま生きて死んだらそれこそ悲惨だ。普通に生きるは幻想であり、普通に生きてたら何も本当のことが始められずに死ぬことになるだろう。ぼくにとって本当のことって、、、?