開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

老年期から「ほんとう」が始まる

以前のぼくのブログで「考えさせられたフレーズ」として抜き出していた引用を今考えるの3回目は、老年期に関してだ。

「老年期には、メリットとデメリットがある。そのデメリットは明確であり、、、だが、そのメリットは数多く存在する。なぜなら、過去がその人の経験に加わるからである。私は、若いときには才能がありながらたいした事もせず、経験を積んでから、何をすべきかに気づいた人々の人生を目にしてきた」_____バートランド・ラッセル

今ぼくはその老年期に在る。生物学的な老年はデメリットでそれは明確だが、人格的にはメリットは多いという。この言説が正しいのはある時代とある国に限定されるかもしれない。バートランド・ラッセルが言ったことから主に欧米中心かもしれず、日本の、しかも現代という範囲で正しいかは疑問符がつく。何しろ現代の日本では老人は迷惑がられて、孤独に追いやられているからだ。昭和までは老人の位置は今ほど低くはなかったと思う。それはさておき自分はどう考えるかだが、ごく少数の哲人や文人には当てはまる気がする。あくまで自分が知り得ている範囲内だが、大江健三郎柄谷行人竹田青嗣、すでに故人だが吉本隆明加藤典洋など。共通しているのは若い頃から実績を積んできていることだ。ラッセルの言葉で言えば経験を積んできていることが前提なのだ。

果たしてぼくはどんな経験をしてきたのだろうか? 文章に残していないからそれを客観的にいうことができない。サラリーマン時代の過去を経験と呼べるのだろうか? サラリーマン時代の自分は、自分を失っていたとこれまでブログで書いている。何を今老年期に当たってすべきなのだろうか?

それは、自分を失ってきたことの内実の解明だと思える。ある強制の元に置かれていたことは確かだ。賃労働という隷属化システムに置かれ続けて、自分をだまし続けてきた。それによって経済的に最低限の生活を定年後も継続できる見通しを得た、ということ。何をなすべきかは、隷属化システムといかに闘うかということに思える。ほんとうの闘いは隷属化システムの解明と共に現れる。

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