定年退職してから一切働かないことにしているのは、働かなくてもなんとか衣食住には困らなくなったからであるが、ぼくの周りにはぼくより所得が上の友人がいて、彼らは働いている。彼らは生活のために働いているのではなく、暇が耐えられなくていわば精神的安定のために働いている。ぼくは働かなくても精神的に安定できるので働かない。なぜ安定できるかの多くの部分を思想によっている。思想とは何かを考えていて、少なくとも自分を無職という状態でも精神的安定を得させるものと思った。無職が社会的に劣るとは少しも思っていないのは、思想によってなのである。つまり自分を精神的に支えるものという定義ができると思う。ところで世の中には色々な思想がある。ぼくにとっては実存主義やマルクス主義やリベラリズムやアナーキズムが馴染みだが、保守主義の人からも学ぶことは多い。(但し排外主義や歴史修正主義には学ぶことはない)
改めてこういうことを書いてみたのは、思想にも実用性を確認したかったからだ。最低限生活をしていく時に、衣食住という経済的なものだけで生きていけないらしいと思ったからだ。衣食住足りるとどうしても暇ができる。人は何にでも飽きるように出来ている。なんとか楽しみを見つけて日々を過ごして、そのうちに寿命がきて死ぬ。死ぬ前に何とか自分の人生に意味をみつけてから死にたいと思う。ぼくは肺ガンで助からない岳父と対面した時に、自分だったらせめて人生の意味を知って、ささやかながら楽しく生きたという了解を持って死にたいと思った。ところが岳父は迷惑をかけずに死にたいという以外の言葉をみんなに語らなかった。心の中で言葉にならない想いはあっただろう。しかし了解を言葉にすること(頭の中で想うことにも言葉が必要)は思想がなくては出来ないことだと、その時ぼくは思い知らされた。