これまでブログに書いてきたことが、どうやら間違っている気がしてきている。掲載する以上、読み手に向けて書くのは最低限のマナーではないのかと思ってきた。自分の心に生じたvoiceを出来るだけ正直に書いてみようというのが、これまでのぼくのブログ信条だった。いわば読み手に自分を押し付けていたのだ。自分の書き方が書きやすいために、相手の事情など御構いなしだった。そもそもブログとはそういうものだと思っていた。ところが、ブログという前に、文章や言葉の使い方は文化の長い蓄積の上に成り立っていることが分かってきた。今、三島由紀夫の「金閣寺」を読み進めていて、ほとほと巧みな文章に圧倒されている。言葉の連なりに何の滞りや違和感がなくて、最初から推敲されて考え抜かれた文章で小説が構成されているように感じられる。誰もが美文と評価するが、ぼくは美しいだけに集約されてしまうことに抵抗を感じる。もっともっとオーソドックスであると思う。