ぼくが翻訳に興味を持ち出したのは、村上春樹の翻訳に対するリスペクトが並々ならぬほどだった事に素朴な疑問を持ったことからだった。趣味だとも言っていた。小説だけ書いていれば小説家としてやっていけるのに、自ら翻訳を手がけアメリカの未公開の小説をどんどん紹介している。もちろん自分の小説のリソースにするつもりもあるのだろうと思うが、それ以上に翻訳を通して、深く時代と人間の共通理解が進んでいくのを実感しているのではないかと感じる。翻訳とはある言語をもう一つの言語に訳すことではない。英語と日本語で言えば、英文和訳と英文翻訳とは全然違うとは言わないまでも、一つ次元が違う行為になる。翻訳された日本語は、ネイティブの日本語になっていなければならないからだ。だから翻訳された小説を読む場合、言語文化圏の違いを超えて小説の中に生きることになる。但し優れた、オーソドックスな日本人らしい翻訳家の文章によってではあるが。そのことを鴻巣友実子と彼女から紹介された野崎歓のエッセイを読んで学んでいる。それが自分をどんどん変えていくようで、楽しい。つまり、ハマっている。