サラリーマンであった時は生活のために目の前にある、与えられた仕事をこなして同僚との競争に明け暮れていた。出世を望まぬマイペースの生き方をして、周りの出世競争には巻き込まれないようにしていたが、給料や職場配置で微妙な格差を数年おきくらいにつけられた時に平気でいられたわけではない。出来るだけ超然としてはいたが、年下が上司という状況で思い出したくもないマウンティングに出くわしたりしても、サラリーマンを辞める決意をするほどの度胸がなかった。サラリーマンではよくあることで、それぐらいは想定内の事だったはずだ。自分を騙してマーケティングなどの勉強に逃げて、主観的に自分を優位に置くことに自分を限定する他なかった。
今退職してサラリーマンの環境からは脱することができて、これからが本当の人生の始まりなのだと言い聞かせている。競争のない世界で好きなことを始められる環境にいることはできているのに、本当の人生を始めているという実感には残念ながら至ってない。英語やテニスで上達が少しづつ進んでいる実感はある。今まで読めなかった本がいつでも読み始めることができる時間はたっぷりある。自宅はリニューアルしてさらに快適にはなった。新車を購入して今までより快適に運転できている。妻と思い立ったら旅行にも何回か行ってきた。認知症の父を介護していた時期は今から振り返るとぞっとするほどしんどかったが、8年前にそれも済んだ、、、これが本当の自分の人生なのかと自分に問えば、本当の人生はもっと深いところにある気がする。学生の頃に出会った「思想」との格闘はどうなったのか?あの熱情は本当ではなかったのか?時代が変わったのだから、もう済んでしまったことなのか?
時代とは何か重大な歴史の流れからすれば、ちっぽけな期間にすぎない。歴史という次元で初めて本当のことが始まるのではないだろうか? まだ歴史には無知なところがいっぱいある。歴史的空白が山のようにある。日本の歴史と世界の歴史を知ろうと思う。