開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

豊かな人生のイメージ

1953年生まれの人間にはまだ、「豊かな人生のイメージ」がある。世界の文学、音楽、絵画の古典などから作られ、私の心の底に沈殿しているものだ。豊かさというとあくまで私の感性だが、ドストエフスキーではなくトルストイだし、カフカではなくゲーテであり、ベケットではなくシェイクスピアであり、カミユではなくロマン・ロランであり、レオナルドではなくラファエロであり、ゴヤではなくベラスケスであり、ゴッホではなくモネであり、ブリューゲルではなくフェルメールであり、カンディンスキーではなくシャガールであり、モーツァルトよりはハイドンであり、ラフマニノフよりはチャイコフスキーであり、シューマンよりはベートーベンである。天才よりは常識人に止まる穏健派の方が「豊かさ」の範疇にあると思える。いずれも後者の方に人生を肯定し、邪悪なものに引き裂かれない安定感がある。ちょっと思想史的に言えば、近代以前ということだろう。現代は近代の不幸を引き継いでいて、豊かな古典の世界はあえて現実を見ないようにして自分の殻にひきこもらない限り、手にすることはできない。つまり現実には無理なのであるが、一割か二割ほどはそのイメージに身を浸していたい。ただその世界を実感として知り得ない、私より若い人よりかは少しだけ幸せかもしれないと思う。