人は自分の大事なものをこれ以上ないくらいに大切に扱うことで、従事する時間を集中して過ごし、一つの投企を実現するプロセスを完了させることで自己成長を果たすようにできている。ぼくの場合、それが普遍性(≒公正さ)であろうと気づいた。普遍性だからこそ自分都合を排し、ローカルでありながらローカルの制約から免れることができる。ブログにおいてももっとも大切にしたいのは、書くことにおいて普遍的であることだ。普遍性というのは、例えば長谷川等伯は七尾の絵師ではなく、日本の安土桃山時代を代表する絵師であるということ。例えば和倉温泉運動公園テニスコートは、国際女子オープンが開かれることでローカルにあって普遍的である。能登演劇堂は東京と同時に七尾にも拠点を持つ、シェイクスピア劇の上演において普遍的である。金沢は毎年5月に国際的音楽祭を、市民とともに開催するオーケストラとホールを持つことにおいて普遍的である。宇ノ気町は西田幾多郎を生んだ哲学の街として、ハイデガーを生んだメスキルヒとともに普遍的である。そのような普遍性(≒公正さ)をぼく自身は大切なものとして、特に書く場合に扱っていきたい。