開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

老人こそ目標が必要

来月で67歳になるから立派な老人の仲間に入るわけだが、老人といっても寿命が尽きるまでは長い。というよりも意外と長く続きそうな気がする。もういいから人生を打ち止めにして死んでもいいだろうというわけには行かない。自殺は許されていないと思っている。以前、100歳を迎えたお爺ちゃんに感想をインタビューしている場面をテレビでみたことがあるが、暇で死にそうだと正直に答えていて思わずインタビュアーが絶句してすぐさま画面が変わった、とぼくには見えたことがあった。そのお爺ちゃんにしてみればもう死なせてくれよと言いたかったのかも知れないが、流石に放送ではタブーなのだ。

ぼくは35年ほどテニスを続けていて、つい半年前まで少しも上達しなかった。(何しろ週一日曜の2時間だけのファミリーテニスだったから)最初の1年で夢中になって一通りの打ち方を習得してからは、スキルの面では一定か、下がる一方だった。特にバックハンドはほとんどスライスで、相手の玉が浅い時にスピンで決めるぐらいだった。それをフェデラーみたいなバックハンドをどうしても打ちたくなり、半年前から30数年打ち慣れたバックハンドを矯正することに取り組んでいる。フェデラーみたいなバックハンドというのは、66歳で決意した目標なのである。テニスをやらない人にはそれがどんなにとんでもない事か分かってもらえないが、自分では体が続く限りはこの目標を持ち続けたいと思う。そしてそう思って気づいたのだが、目標設定というのは若者だけのものではなく、老人こそ目標を持つべきと主張したい。目標を持たないと長い老後を退屈で死にそうになるから。