開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

just one day's diary

過去のある日を振り返ってみる。ほんの少しの変化を発見してみたい。

2000年8月14日

今年の5月から自宅でインターネットを始めている。確かにこれによって私の日常生活に変化をもたらしている。まず本が読めなくなってしまった。振り返ってみると、この本によって私の意識世界に様々な「過去」が形作られてきたのだが、インターネットによって圧倒的多数の「現在」が落ち着いた過去を追い出してしまった。インターネットは道具の存在でしかない。道具は限定して使わなければならない。それにしても本の世界には何か替えがたい力があるような気がする。

それは、私自身と密接につながっている。そこは、無限定・無境界であり、外界と静かに融合している。心理作用として何らかの解放感があるのは、「用」の現実世界から切れてしまう快感があるのかもしれない。私はこれまで巧みにというか、執拗に、現実世界から切れることを実践してきたように思う。孤独を求めるのはそのためだ。

2015年3月28日

今日ほとんど唯一の外出となっている昼食の蕎麦屋のあと、すぐには自宅に戻りたくないので本屋に立ち寄ってふと目に止まった新書を買った。タイトルに「肩書きを捨てたら地獄だった」とあったからだ。数百億円の予算を動かす、元通産省官僚の独立までの赤裸々なドキュメントが読める。今の自分にとってとても参考になる本だった。肩書きを軽んじてしまった東大出のエリート官僚の転落と復活をノンフィクションとして読めるものだ。私は現在わずかであるが年金(今は失業保険給付のため中断)が入る身でそんなに生活に困窮するほどではないが、昼間の外部世界で感じる孤独感があるために、この筆者の「落ちぶれ」に感情移入することは十分にできた。フリーエージェントが自己ブランディングをどうやって築くかの生きた事例が書かれている。
その彼を救ったのが、ブログだった、、、、

2015年3月30日

もし自分が何かで起業して望む未来の生活と人間関係を手に入れるとしたら、どうすればいいかが行動の前に既に分かっていなければならない。単に失敗したくないという理由ではなく、ただその論理から私のような人間は逃れられないので、まず自分が深く納得する必要のために、このような「書く」ことを課している。書くことで自分の考えが客観的になる、つまり私の脳の働きが見えるようになる。
帯状疱疹という比較的軽い病に罹って、2週間は痛みと付き合いながらテレビと睡眠の日々を過ごしてFBに久々に向っている。少し熱もあったので、本を読もうとしても気力が続かず眠ってしまう。スティーブン・コヴィの七つの習慣によれば、成功の習慣は「知識」と「スキル」と「やる気」からできているということなのだが、やる気がほんのわずかな体温の上昇で簡単に失われてしまう。私は起業家の習慣をつける努力をしようとしてしょっぱなから躓いた。
ただ頭の中は結構動いていたのかもしれない。普段は見ない夢をよく見たし、朝起きると起業ネタが浮かんでいたりした。起業についてはこれまでの延長線上で考えるか、一度全てをゼロベースで考えるかで迷っていた。「ラベルデザイン」のネット上の資産を生かしてリニューアルするか、全く違う商品をゼロから作るかで昨日まで悩んでいた。今朝それに終止符を打つことができた。私が選んだのは後者である。

2015年5月14日

全く久しぶりにFBに投稿する気持ちになった。会社で毎日働くという環境から脱して毎日何をしてもいいという環境になって、2ヶ月半ほどたった。ぼくが若い頃、哲学がファッションのようだったことがあり、ぼくはサルトルなどが好きだった。確か存在は意識に先んずる(実存は本質にの間違い)、というようなテーゼがあったかと思うが、今のぼくはビジネスマンとしてのあり方から遠ざかっているので、意識はどんどん学生の頃に舞い戻るということが起こっている。少し前までジョン・コルトレーンのCDを部屋で流していたが、すると意識は学生のころの雰囲気が音楽と共に漂いだす、、、、
ぼくは金沢に隣接する野々市市の住宅街に住んでいるが、全く動く人の気配がない空間を、ぼくの部屋から黒人のエネルギーがジャズにのせて塗り替えていくような感じがする。それにぼくの意識がリズムを取りながら動き出す。このようにして意識の場がぼくの中から抜け出し、今ここの空間と融合していく。
退屈したりブルーになったりすると、自分が置き去りにされているような感覚を持つが、音楽はそれを破って動きを作ってくれる。動きがなければ眠くなってしまう。

2015年6月26日

ぼくが高校生だった頃、一世代上になる三田誠広が書いた芥川賞受賞作「僕って何」をどうしても読みたくなった。ずっと潜在意識下にあったものだ。泉野図書館をさんざん探し回ったあげく見つけ、その場で読みふけって読み通した。40年ほど前の大学にはこういうことが起こり、描かれていた「暴力」シーンとかすかなユーモアの対比に当時の雰囲気を思い出した。最初に読んだ時とは違う、「生々しさ」を感じた。

2015年7月25日

ついにCDを買う決心をしてCD屋に行くとぼくと女性店員だけだった。しばらく店内を探しても見つからなかったので、その女性店員の方へ行って「アジアンカンフージェネレーションってありますか」と尋ねた。一瞬彼女は思案したがすぐにその場所に案内してくれた。8枚ほどあった中でベストアルバムを選んで彼女のところへ持って行く。幾分嬉しそうな感じが素振りに出ていた。袋にCDを入れる時にフンと笑ったような気がした。ぼくはお金を払い、年甲斐もなくと思われていることに少し動揺したかもしれない。彼女はちょっと弾んだ声でありがとうございますと言い、ぼくもありがとうと返した。
「ループ&ループ」を何度も聴いている。このPVの中学生のように自分の中学生の頃に還っていた。あの頃のぼくは在日米軍向けの短波放送にチューニングしてアメリカのポップスを毎日聴いていた。62歳の自分は方法的に退行することにした。

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2015年8月のころ

「約束された場所で」を読む。オウム真理教信者を村上春樹がインタビューしたものをリライトした、いわばノンフィクションものだ。文壇からのデタッチメント(関わらないこと)を決めて海外で作家活動をしていた春樹が、自分の文学はやはり日本でしか成り立たないと実感して帰国し、社会へのコミットメントに移り地下鉄サリン事件を作家として取り組んだ作品の一つだ。もう一つは「アンダーグラウンド」として被害者のインタビューをまとめている。これらはあるいは「1Q84」を書くための現状把握だったのかもしれない。ところでぼくのこの本を読むまでの背景というのがある。背景と言っても客観的な外側をたどってもあまり意味がない。内臓的ともいうべき世界を書く必要がある。書くことによって過去の自分と対面する場が背景になる。それはぼくの青春時代から社会人になる人生の中間地点にオウム的なものがあったのかどうかを自省してみることでもある。

オウム信者の多くは「出家」して「解脱」するという仏教的な目標を持つ。現実世界に適応できず普通の生活にどうしても興味を持てないために、逃避か救いを求めて入信する。そういうことはあってもいいし、ぼくも似たようなものだったと思う。実際就職して中間管理職になりたての頃、社長からの「不意打ち」で存在を否定され自閉の時期を2年間過ごした経験がある。ただしオウム真理教は仏教の一つとはいえないと思っている。

2015年10月12日

一泉同窓会というものに昨日参加した。午後6時開会であったが、午後遅めの昼食のあと暇だったので片町までバスに乗って行き、会場のANAクラウンプラザホテルまでぶらつくことにした。片町では先ごろオープンした片町きららを覗いてみることにした。 やはり若者でごった返していたが、私のようなオジサンも見かけた。H&Mでカジュアルなジャケットを探して、あったのを確認した。その後109の地下に北國書林があったはずと思って行ってみたが、すでに存在していなかった。もう一つの本屋うつのみやが柿の木畠にあるが、行ってみると相変わらず閑古鳥だった。日曜日にあんな状態では店を閉じた方がよいのではと思った。街中の知的な雰囲気を漂わせる装置として、本屋は都会では欠かせないものだが、金沢という規模や潜在客数では無理なのかもしれない。数年前まではそうでもなかったのに、郊外の県外同業者に客を奪われたのだろう。
さて、片町きららから会場まで歩くのに、日銀横の小道に入って裏道から行くことにした。裏道はさすがに人通りは少ないがカップルの旅行者と時々出会った。その中に私と同年代とおぼしきカップルが手をつないで歩いていた。文系の大学教授と奥さんの友達夫婦に見えた二人とすれ違って少し嫉妬した。ジョンとヨーコまではいかないが、同じ穏健な思想を共有する自然な一体感が感じられた。 霧雨のような雨で傘はいらないくらいであったが、これくらいのしっとり空間が金沢に似つかわしい。もちろん混雑した表道ではなく裏道の方に金沢らしさと遭遇するチャンスがある。そういえば、ユーミンが「通の金沢」を案内する新幹線プロデューサーになっていたはずだが、どこを紹介してくれるのだろうか? 今はなきニッセイパルをたしかどこかでほめていた記憶があるが、若い頃の私もなんとなくあそこに入っていくのが好きだった。
金沢のブラ歩きの魅力は古い格式ある住宅にあるのではないか、長町、長土塀界隈の一般の家並みを歩いてそう思った。 同窓会の会場に入るとまた非常に混雑していた。一泉同窓会参加数は1000人を超えたらしい。テーブルまで案内してもらうとそこで、卒業以来初めて会う同級生1人と、2度目の同級生3人と、同じ期の「初対面」の3人に出会った。同級生と話すと時間というものがなくなる。自分の中の嫌いな過去が消え去り、「あの日」に帰って話すことができる。 ボクはあの頃何を想って君に話していただろう。友だちという関係はどのようなものなのだろう。今となっては取り戻しようもない、途方もない「豊かな無為」。ボクたちの時代には明確な目標というものがなかった。本当に弁護士や医者になろうと真剣に望まなかったように思う。何度目かの司法試験の受験後、塾講師となった同級生は地元で30年一人で頑張ってきた。その人生と自分の人生を比べることはしないが、同じようなものだと思って、幾分かは安堵した。

2016年2月26日

今日借りていた本を返しに泉野図書館に行った。雪が降って外出が面倒になっていたが、午後どうしても部屋にいることが苦痛になって出かけることにした。公開ホールにはちょうどいいくらいの利用客がいた。 本を返して何となく次の本と出会えないかぶらぶらして、ふと見上げると2階がギャラリーになっていて10数点の油絵がかかっていた。2階に初めて上がって間近に順番に見ていくと、ユトリロ風の絵に目が止まった。 ああ、この人もユトリロのパリに心を奪われたのだなと思い、ぼくは自分の過去をも思い出した。美大受験の高校3年の冬に部屋にこもって、(冬になると少年のぼくは冬眠していた)図書館から借りてきたユトリロ画集から気に入った絵を模写していた、、、、。あの頃の雰囲気が心に湧いてきた。それは現実の空虚をあこがれの風景と物だけで埋めてしまうという「部屋の中の熱情」だった。思いっきり世間知らずにいられて、内面に閉じこもることが受験生ゆえに許されていた。ぼくにとって幸福な時期のひとつだった。

2016年5月25日

「63歳の誕生日に」

子供のいない、妻と二人の家庭を33年間続けてきて、自分の誕生日に特別な何かお祝いするという習慣がない。今日もお祝いらしきことはないのだが、職というものから離れて気ままに生活を送るようになってからの心境の変化を、63歳の誕生日という区切りで何かを書き残したいという気になった。それは社会とのつながりや責任が軽い状況で過ごせる身分というものが、ぼくには学生時代にもどるような気がするのだが、これは同じ年齢の多くの人たちと共有できるものなのかは分からない。この前大学病院までいく市内バスに乗って、そこで降りて美大に通じる道や天徳院のあたりを散歩して、時間の変化を身に感じながら歩く「快感」を味わてきたが、それは学生気分と似たものであった。 確かに空間は地理的には同じなのに時間が40年も違うというズレの感覚が心地よいのだ。もしかしたら40年前の自分と狭い路地裏で鉢合わせしないかと想像してみるのも一興だと思う。

さてぼくという人間は62年間生きてきた。(今日が63年目ということでよかったのかな?)最近サルトルを読んでいることの影響で、自分の主観性の中の客観視された自分というものに興味が湧いてきている。できるだけ客観的に他人から見た自分というものが今の自分の主観に打撃を与えることの積極性を考えてみたいと思えてきたのだ。それも付き合いといえば付き合いで、他人ではない非社会的な自由な見方ができるような気がする。そこには「身体」や「肩書き」や「地方」のファクターがある。でもそれらは制限ではあっても限界ではないだろう。制限は仕方がないが、限界は考え方や学びでいくらでも遠ざけることができると思う。人生はクレシェンド(段々大きく)である。

2016年7月26日

今日は午後から泉野図書館へ行っていつもの本の続きを読んだ。辻邦生の「言葉の箱」は今日で読み終わった。5回ぐらいで読了になったが、なかなか勉強になった。小説でも自分が何を書きたいかの核が大事で、それを見出す必要がある。小説はF+f である。Fはファクト、fはフィーリングでこれが漱石の定義だということだった。「日本精神史」は仏教の伝来の歴史で、最澄空海まで進んだ。仏教はまず仏像という形から入って、写経の時代を経て、中身は最澄に至るまでにかなりの時間を要したという長谷川宏の説が興味深かった。 日本に民主主義が「伝来」し定着するまで、やはりかなり時間がかかり歴史的段階が必要なのかと慨嘆したのだった。

2016年9月18日

今日雨だったのでいつものようにテニスは出来なかった。それで日曜日の泉野図書館に行ったことがなかったので行ってみた。やはり普段よりは多かった。長谷川宏著「日本精神史」の下巻を繙いた。新古今和歌集愚管抄の章を読んだ。愚管抄は日本最初の歴史書らしい体裁のものだったらしい。「道理」の概念で説明を試みた慈円に興味がわいた。当然この人(松岡正剛)も千夜千冊で取り上げていた。

2017年3月30日

今日も天気が良くて春の陽気です。居間の朝のカーテン越しの光が柔らかくて気持ちがいい。ほとんど手当てしてないので貧相なポトスだけど30年以上なんとかもっています。君主蘭はつぼみはついているが、なかなか出てきてくれない。

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水曜日が家の掃除の日になっているのを昨日忘れたので、まず掃除機をかけることにした。明日のテニスの予約を取りに行って早めの昼食はおろし蕎麦を食べて、午後は今日から始まる現代美術展を見にいくことにする。有名作家の作品ではないが、地元の作家のわかりやすい具体的な創作にゆっくり向かい合うのもいいかなという気分で、会場の県立美術館と21世紀美術館を回った。春の陽気の中を二つの美術館を歩いて回るのは気持ちが良かった。日本画と工芸の展示室は入館者がまばらで、ほとんど作者と一対一で向き合って観賞できて濃い時間を持った。彫刻の展示室ではおしゃれな老夫婦を見かけ、その若々しいファッションセンスを展示作品と同じくらいの熱心さで観賞した。

最後に油絵の展示室を見て気づいたのは金沢はやはり伝統的な日本画や工芸の作品の完成度が高いということだった。洋画には訴えるものが弱かったと感じた。日本画や工芸の中には革新的な試みをしている作品もあった。伝統があるからこそそれを破る力も育つのだとの感慨を持った。そういえば今読んでいるジョイスの「ユリシーズ」も伝統を踏まえた実験小説だから20世紀の記念碑的な作品になっていると言われている。

2017年4月4日

退職後孤立しないようにオープンマインドにと続けている世界文学の読書(読むだけでは広がらないが、まずは読むことから)で、ジョイスの「ユリシーズ」を半ばまで読んできた。超難解な小説の理解に仲間が欲しくなってこのサイトを見つけた。

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●『ブルームズデイ 100』をのぞいてきました

2018年5月25日

「65歳の誕生日に」

今日の誕生日を2年前と比べると、幾分孤独な環境からは離れていることによる豊かさの感覚がある。テニス仲間が10人ほど、(仲間とは言えないがテニス教室でのメンバーも同じくらいいる)住民で作っている読書会グループ仲間が10人ほどいるので、会社関連世界から趣味で繋がる世界に移行できている。今日は読書会グループでの文学散歩というイベントに参加してきた。旧松任市にある、聖興寺(千代尼堂)、白山市博物館、中川一政記念美術館、松任ふるさと館、千代女の里俳句館をめぐってそれぞれガイダンスを受けてきたが、その施設の充実ぶりには驚かせられた。地域の文化的資産は想像以上だった。日常何気に通り過ぎているところに歴史への窓が用意されていた。

さて自分史であるが、あえて再就職せず書生のような生活を続けてきて、個人としての自立というような抽象的な課題で自己表現ができるようになってきた感じがする。同世代作家と戦後作家の小説を読んだり、サルトルを読み進めたりして、自分の過去を成長過程として表現する視点を持つことができるようになった気がする。いずれも自分の心に主観的に蓄積するばかりで、気がするとしか言えないのだけれども、、、

自分を媒体にして一つの時代状況を再現するような「無謀な」挑戦にも意欲が湧いてきている。とにかく自分史は遅々として歩みは遅い。それでいいと思っている。