開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

書く人の他者に開いていく自己

このブログという開かれたテキスト空間に随分馴染んできた。生身のぼくを知る人がもしこのブログを読んだら、果たして自分が知っている人間と同一の人間が書いているのか疑いを持つかもしれない。リアルでぼくが見せているこの自分と、ブログの書かれてある文章の主体である自分は、果たして同じだろうか?このぼくでさえ、自分で書いて現れている自分に責任は持つ必要はあるものの、どのように自分が読者に写っているかに100パーセント責任は持てない。つまり、最低限ウソはつかないことで責任は負うが、書いたことがどのように受け取られるかは読者側の解釈に依拠する部分があるからだ。正直に自分のやってきたことや考えてきたことや、価値観に関わることなどを書いているが、それがぼくの考えた以上に誇張されたり、読者の経験上の様々な人物からの影響から歪められることまで、責任の持ちようがないからだ。このブログで他者に開いていく自己に今の自分が制限されないように注意しよう。自由がなければ書くことを継続できないし、書く楽しさから遠ざかってしまう。

さて、そうは言っても読者は大切にすべきであり、どのように読んでくれても今この現実を共有する友人として接するべきだと思う。コロナウィルス感染に見舞われている世界に、引きこもり体験を持つ人間にとっては馴染みやすい環境であったりもする。どんな時も楽しんでやろうと、つぶやいてみる。(ここでぼくの引きこもり体験など大したことじゃないと断って置く必要も感じたので、付記する。)