開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

今こそ、引きこもり小説を

「死霊」を読み進めていて、主人公三輪与志の父広志の人物像がつかめず中断していた。戦前の革命運動世代の与志の兄や首猛夫などは想像できるが、父広志までが極端に抽象的な話をし出すのはどんな歴史的背景があるのか想像できなかった。そこでネットで検索してみると鹿島茂が書評を書いていた。彼によれば、父親世代は、「明治維新を担った天保世代の子供の世代、つまり明治の二代目に当たるが、彼らの責務は父の世代から受け継いだ明治国家の屋台骨を支えることで、二人が首猛夫の吹きかける哲学議論にも真っ向から立ち向かうほどのインテリでありながら、基本的には政治や警察などの実務にしか関心がない」ということだった。そうか、明治の二代目はインテリなのか。今の政治家を連想してはいけないということだ。そう言えば、アベチャンの祖父の岸信介マルクス資本論ぐらいは読んでいたそうだから、昔の政治家には教養があったのだ。

それはさておき、鹿島茂が「死霊」の登場人物をサルトルの「自由への道」や「嘔吐」と比較しているところは流石だと思った。埴谷もサルトルが自分と同じ領域を思索していることを認めたが、成功していないと言っていた。埴谷とサルトルがどんな領域を極めようとしていたのか、存在とは何か、なのかはもっと「死霊」を読み進めてみなければならない。ところで、もう一つ鹿島茂の指摘で面白かったのは、「死霊」は今読むにふさわしい我が国最大の引きこもり小説であるということであった。