開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

小立野台の離れにて

もう45年も前になるけど、ぼくはセント・ヴィクトワール山の見える丘の家の離れに住んでいた。将来画家になるつもりもないのに、芸術家気どりのボヘミアンだった。むき出しの畳1畳分のベニア板を壁に立てかけて、街で拾ったビラやジャズ喫茶にあったポスターを貼り付けていた。下手くそなランボーのような詩を書いた紙片も貼った。隣の家には医学部の女子大生が下宿していた。ぼくの部屋の北側の窓を開けるとちょうど彼女の部屋が向かい側に見えた。ぼくは時々自慢のレコードを窓を開けてかけていた。ショパンホロヴィッツの演奏版が気に入っていて、マズルカポロネーズを彼女に聴かせていた。でもほとんど反応がなかった。クラシックじゃダメなのかとジャズもかけてみた。その頃ジャズは次第にフュージョンっぽくなっていて、マッコイは「Song foy my lady」を出していてそれをよくかけて聴いていた。ある時、向こう側の窓が大きく開いていた。多分空気を入れ替えるつもりで開け放していたのだろう。ぼくは鉢合わせするのではないかと恐れたが、部屋の中を覗かないわけにはいかなかった。綺麗に整頓されていたが、もちろん彼女はいなかった。出かけていなかったのだろうか。それにしては窓を締めていかなかったのは物騒ではないか。あの頃の彼女は窓の向こうの存在をどう感じていたのだろうか?確かに今から45年前には在ったという事実はあるはずなのに、彼女の記憶に残る可能性はほとんどゼロだろう。