開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

倦怠とはどういう状態か?

何もする気がしなく、昨日までのめり込むほどであった作業に今日はどういうわけか乗り気がしない時、いったい精神はどういう状態になっているのだろうか?一般的に取り組めない時は二つのことを同時にしようとしている状態で、取り組みを開始するには一方を捨てればいい。そうやって解決することがよくあった。しかし今の状態はちょっと違う。今ぼくを支配している倦怠感の中身を知りたいと思う。人生に疲れているとかじゃない。ぼうっとして体に力が入らないわけじゃない。繰り返しが単純に耐えられないのかもしれない。昨日聴いていた音楽がもう繰り返して聴くことができない感じと同じだ。昨日と同じものを食う気がしないのと同じ、ということか。だとすれば単純に昨日と違うことをすればいい。これが続くと毎日違うことをしなくちゃならず、それでは何も創造できない。ただ漂うばかりだ。それが嫌なのだ。昨日その漂流から逃れたはずではなかったのか?逃れたはずが何も変わらなかったという敗北感か?そうだ、倦怠とは敗北のことだ。

そういえば歳をとったという感慨も敗北感が漂う。若い頃に人生のピークを迎えた人はその後の人生はピークを下るしかない。昨日、ぼくが若い頃好きだったあるミュージシャンが中年になってすっかりオーラが消えていたのを、少し痛ましく思ったのだった。それは仕方のないことだろうか?倦怠に長く支配されてはいけない。それは体内から力を奪っていく。進もうとにかく、あなたと共に。