開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

哲学が転落からぼくを救った

38年間勤めた会社を定年退職でき、現在6年目のリタイア生活を充実した気力で過ごせているのは、サラリーマンならほとんどの人が遭遇する危機を何とか耐え忍んで乗り越えてきたからだ。その危機をほとんどの人は今はすでに忘れてしまい、いい思い出とは言わないまでも自分の人生の貴重な経験として、人には言わず懐にしまい込んでいると思う。だがぼくはその経験はやや大げさにいえば、ぼくのような年代が公共のコンテンツとして要請されていると思う。ちょうど、先の対戦を経験されたぼくにとっては親世代の人たちが戦争経験を少なからず語ったり、記録に残されたりされているように、ぼくらの世代もこのように人生を送ったというほんの一例に過ぎないが、記録を残すべきだと思われる。それがこれまで自分本位でブログを書きつぶしてきた自分の、公共の場であるこのブログサイトへの「応答」であると思う。その役割に幸いなことに昨日自覚することができた。

ぼくの最大の危機は、社長から人格を否定する言葉による攻撃を受けて危うく転落の道に行くところを哲学を学ぶことで回避できた、あの2年間だった。それをどのように書くことができるか、うまく伝えられるかとなると考え込んでしまうことになるが、出来るだけあったことに忠実に記述してみたい。ところがあったこと自体は、戦争のように誰もが経験して歴史的事実として客観的にあるわけではない。あくまでぼくの個人的な体験でしかなく、例えば当時のぼくの同僚だったり上司に確認を取ることさえできない、というかぼくが受けた攻撃自体の存在を証明できないだろう。これはエビデンスのない主観的で一方的な話で、お前の作り話じゃないかと言われても「公的」に反論することが不可能な事柄なのだ。逆に実名を出して「公的」に書いたとしたら元社員の資格での守秘義務を犯すことになるかもしれない。このブログがどれだけ公的かはわからないが原則としてはプライバシーの侵害になることは避けなければならないだろう。

だったら作り話と見なされても仕方ないとしよう。ぼくはこれを物語として出来るだけリアルに書くことにしよう。今日はここまでとする。