開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

段階はあるか?

人間は生まれて長生きしても100歳くらいで必ず死ぬ。自然生物だったらだれもある時、生まれて生命が途絶えて必ず死ぬわけである。地球も生まれた時があるとしたらいつかは分からないが、消滅する時が来るはずである。生まれたから死ぬことがある、という動かしがたい原理がある。だったら段階もあるのではないかと思う。生まれてからその中に成長するものと消滅するものが、どれだけの割合かは変化して次第に死に向かうのである。例えばぼくは100歳生きるとして今66歳だから、いつ死ぬのかは分からないが成長するよりも消滅する割合が高くなるということだ。でも今のぼくの実感からしたら、成長しているものもあるのでそれだけに焦点を当てて生きようとするといつまでも死なないことになる。成長しているものとは精神のことだ。分からなかったことが分かるようなると成長しているように感じる。そうやって霊魂は死なないと考えた人も出てきたのだろう。あるいは死後生まれ変わったりという宗教もあるのだろう。

人類に段階はあるのか、という問題に悩む検事総長と革命家の対話が「死霊」の中に出てくる。その中では現代の人類は青年期にあって、生か死かという二文法のなかでどちらかしかない非妥協的な年代だとされている。そうかもしれない。今人類は戦争状態であって戦闘がないのは休んでいるだけで、いつ戦争になるか分からない、そういう年代なのかもしれない。でも、人類が青年期という段階は、人類が生まれた時期と消滅する時期が分からなければ特定できないはずだ。ひょっとして今の科学はその消滅の時期を割り出しているのではないだろうか?そんなことは分かっても言われないだろう。人口減が始まったら計算できるのだろうか?殺人的なウィルスの発生予測と感染率の予測と致死率の予測などは、AIが計算してくれるのだろうか?そして子供を産むという自然な幸福のプログラムが崩れるとしたら、、、あるいは、幸福感の度合いで段階が決められるのではないだろうか?