開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

改めてブログを書く意味を考える

この頃ブログを書いていて何になるのかという、後ろめたさのような無力感を感じることがある。多分何の役にも立たず時間を潰しているだけのような気がするというのと、自分をありのままに見るのではなく、逆に違う自分になろうとしている気がするからだと思える。もとより誰かのために何か役にたつことを書くつもりはない。突き詰めれば目的は何かということだ。少し前に、自分のような人間が考えたことや学んだことを定年退職後にブログを始めた男の一例として記録することに意味があるのではないかと思った。サラリーマンだった時の面白くなかったことも書くことで、そこをどう対処したかで自分の成長を確かめる意味もあったかと思ったが、書くほどでもなかった。成長などとはおこがましいかぎりだ。段々にこれまで書いてきたことが虚しくなり、ここから自分を変えていくには書いてきたこのブログが邪魔になる気もしてきた。いっその事削除してしまっても別段どうということもない気もした。削除したら気分が晴れる気もする。

削除したらぼくは日常だけになる。今も日常だけだと想う人がこのブログを読む人の中にはおられると思うが、ぼくの場合はブログは絶対非日常である。何か商売や備忘録としてブログを書かれている方には日常の道具になっていることだろう。ぼくは日常から逃れるためにブログを書いている。日常では絶対口には出来ないことをこの知らない人ばかりの空間に吐き出しているのだ。だから、違う自分になろうとして書いているのは当然なのだ。そうすると今まで書いてきたことは、日常の自分の過去に対してウソになるのか?決してウソを書いてきたわけではない。本当のことは日常の世界では誰にも言えないからだと思う。分かったぞ、「ほんとうのこと」を書きたくてブログを書いているのだ。