開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

資本主義しかないか

資本主義って経済学の言葉で語られるから、馴染みがなくて難しく感じられるが、要は自分が置かれている今の世界のことだ。自分を商品にして売らなければ生活を維持できない。商品は例えば芸能人になって人気者になるような、自分の能力をウケを狙って笑わせることに集中して改造してしまうことも含む。決して自分自身ではありえない、身を削って生きていかなければならない過酷な人生とも言える。作家も初めはオリジナルな個性を描いて人気者になり自由を獲得するかもしれないが、人気を維持しようとすると読者におもねるようになって自由を失う。もちろん、何の能力もない普通の人間は何かの職を得て労働力を売らなければならない。自分をうまくプロデュースできる器用な人間、つまり場を読んでうまく立ち回る人間のことだが、彼らは普通の人間の上に立とうとする。人を使う支配者の側につこうとするのだ。しかし過酷な権力闘争からは逃れられなくなる。資本主義は人間を競争に駆り立て、他人から動かされる世界を作るシステム装置だ。ぼくはこんな世界は嫌いだから降りようとしていたが、周りは許さなかった。周りから動かされる社会が資本主義社会だ。

定年退職した自分はもう動かないことにした。動かないことは決して容易い事ではないことは全てのリタイヤ者は気づいていると思う。動かないとやがて倦怠が訪れるからだ。やはり動かなければ生きていきない、ただ他人から動かされるのを避けるだけのことだ。

ところで資本主義以外の国は中国やキューバベトナムのような国ではない。資本家から権力を奪ったが経済は資本主義のままだ。だから世界は資本主義で回っている。中国はグローバル資本主義を推進してさえいる。経済を語るにはまだ知識不足なので、資本主義を文学的に語るしかないが、資本主義を超えた世界は思いやりに満ちた、自分の能力を自発的に生かす人たちの公共性に基づく世界だ。誰もが自由に、公共に貢献できることにチャレンジできる社会であり、そういう行動を賞賛する社会だ。商品と市場の代わりになる、公共の広場があり民主的な議論と決定によって運営される社会だ。、、、理想論であることは認める。ただし現代は理想論が再興する時代(ポスト・ポストモダン)だと考えている。ついでに言えば、夢を語るロマン主義も並走して復興するだろうと考えている。