開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分のことか誰かのことか

自分のことか誰かのことかを問うというのは、自分のために生きるか誰かのために生きるかを問うことではない。自分が好きか誰か他の人が好きかを問うことでもない。自分に関心があるか誰か他人に関心があるかを問うことに近い。さらに言えば自分と他人とどちらを先に大事にするかという問いはさらに近い。親子、夫婦、友人という関係性が濃い場合の自分と相手で、どちらを優先するかという問いは除外する。

白状してしまうと、ブログで自分のことを書くか、誰かのことを書くかを突き詰めて考えて結論を出してみたいのだ。自分のことの中に自分のためにを含み、誰かのことの中に誰かのためにを含むことにする。

最近こういうことがあった。ぼくはこれまで自分のことを書いてきて、他人のことはよく分からないので書いてこなかった。それが自分にこだわって、自分にばかりかまけていて壁を作り、他人を寄せ付けなくさせているんじゃないかと考え始めたのだ。確かに壁は作っているかもしれない。「ですます」調ではなく、「だ、である」調で書いている。その方が言いたいことが明確に書けるという気がするからだが、後者の文体で書くと、独り言のように幾分自分に閉じこもった言い方になる

要は少し孤独に耐えられなくなってきたのかもしれない。寂しいから誰かと繋がりたくなったのかもしれない。飽きるというのと寂しいという感情は、人として避けられない。同じことを避けたくなるし、寂しさを紛らわしたくなるのは、ほとんど原理的なことであろう。ぼくはこの前、自分の文体と自分の壁を取り払って以下のようなブログを書いてみた。

これまでの自分を捨てて新しい暮らしを始めたい。自分へのこだわりを捨てて、これまで関わった全ての人と、これから繋がってゆく人たちのために、共に温かい関係を作っていきたい。人それぞれに欠点や弱点があり、でも共に豊かになるように長所を出し合って共通の幸せのために何か作り出せるものがあるはずだと思う。これまでのぼくは自分の器を自分の関心ごとだけで満たしてきて、他の人が関わりづらく感じさせていた。そういうブログを2年間ほど書き続けていたのです。自分の感じたことや言いたいことをただ吐き出していただけでした。そして、そろそろ吐き出すのはもういいかなと思えるようになったのかもしれません。これからは何かを作り出していきたい気持ちになっています。過去にきちんとした別れの言葉をかわす事なく終わってしまった人たちと、もう一度関係を再開したいという思いにかられる事があります。未熟だった自分の非を詫びて、遂げられずに終わった思いを汲み直して少しでも気持ちを通じ合えるように、何かを新しく作りたいと思うのです。実際の人生ではもう終わったことではあるのだけれど、このブログで想像上ではあっても「再開」することはできるかもしれない、と思うのです。

こんな思いを少しづつ形にできたらと思います。あなたとの出会いも始まるブログでありたいとも思っています。どうぞ、よろしく。

 このブログのタイトルは、「自分を捨てて、最初の一歩」というものだ。寂しくなったことがよく窺われる文章だ。実をいうとこの路線で行って、この開界録2019というブログはやめようかと思った。しばらく迷いが続いて段々分かってきたのは、やはり自分のことしか書けないという事実だった。誰かのために書くという動機がぼくには生まれないようなのだ。誰かとは誰か、結局その誰かは自分との関係がいかに深いか否かに関わる。自分にとって、その誰かがかけがいのない人であれば、ぼくとしてもその誰かのために書くだろうと思える。