今のぼくにあるものの上に、どんな生活を描くかについて考えてみたい。これは人生設計だとかクオリティライフのための生活習慣だとか、自己実現の計画というものではない。一般に将来に向けて企画したり計画したりということの有効性をぼくは疑っている。計画どおりに進めることの達成感には縁がない。やってみて面白ければ続けるだけだ。それを踏まえた上で、今後の生活を展望してみる。それは大きな自然災害や病気や事故がなく、ましてや戦争が始まって巻き込まれることは全く想定外である。ぼくの住んでいる地方は幸いなことに自然災害にほとんど合っていない。67年間一度もないかもしれない。地震は能登であったが、金沢では被害がなかった。台風で川が溢れたことはあったが、金沢の北部であっただけでぼくの住んでる南部は何とかもちこたえた。交通事故はサラリーマンになりたての頃、雨でスリップして車と衝突事故を起こしたが人身事故には至らなかった。会社も定年まで一つの会社にいて転職の経験がない。小さな会社だったから組合などの労働運動経験やいわゆる市民運動などの経験もない。唯一あるのは大学の時の学生運動であるが、退潮期であったためマルクス主義のサークルで過ごす程度で、逮捕の経験もない。既婚ではあるが子供がおらず、子育てという大きな親としての仕事にも経験がない。岐路に立たされる危機に直面したことがなく、何となく67年間を送ってきてしまった。真面目に大人しく小市民の一人として人生を終えようとしている、という一生に果たして今のぼくが満足できるだろうか?
今あるもの内で多分年金が一番大きな要素だろう。それを無視はできないが、今確認しておきたいことの一番は読み書き能力だろうと思える。テキストが人生という小市民の歴史を現実のものにすることができる唯一のものである。基本的に今後のぼくの人生は、読み書き能力のアップのための独学と、テキストの更新を個人的な「任務」とする生活になるだろう。
*上の写真は私ではありませんのでご注意。