開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

(公論)コメントできないSNSは有害?

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哲学・批評 | (TOKYO) FACTORY MAGAZINE

埴谷雄高の虚体論がどう受け止められているかを知りたくて、検索すると興味深いサイトにたどり着いた。タイトルも「メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹柄谷行人ポストモダンの文学精神』」と魅力的につけられている。ぼくは感心して読み進んで行ったものだ。なんと戸坂潤まで引用されている。筆者は1987(昭和62年)生まれだった。一つ違和感があったのはサルトルの影響下にある文学者として三島由紀夫を挙げていたことだ。そういえば、三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』で、三島の発言にサルトルの用語が多いことにアレっと思ったことを思い出した。それにしても思想信条がほとんど真逆なものを影響者とできるのだろうかと疑問に思った。全共闘にも言及する部分も見られたが、上部をなぞっただけの印象だった。それは無理からぬことでもある。ぼくとしてはサルトル全共闘も、反スターリン主義(要するに共産党との距離の取り方)であったことに歴史的意義があると考えているので、反スタに一言でも言及して欲しかった。そのことをコメントしたいと思って、コメントのアイコンを探したが見つからなかった。おそらくコメントを受け付けていないのだろう。そうか、コメントできないSNSもあるのかと驚いた。「いいね」や、共有マークはやたらと多いのにコメントできないとすると批判や感想は受け付けない、ということなのだろうか? そうすると客観性のない情報発信になるし、仮に誤謬があっても訂正されないとしたら、有害ではないのだろうか?