定年退職して6年が経った。退職するということの一番の意味は、社会的競争から降りるということだ。立身出世のために、市場での優位をしめるために他人と競争する必要がなくなったということだ。大いなる安堵を得てからさてどうするのか、という問題にぶつかる。人それぞれではあるが、満足した答えを得ないと自尊心が持たなくなる。男という生物的存在は逃れられない。すでに見えやすい攻撃対象を奪われている。不条理も被支配も不平等で弱肉強食の原生状態を認めてしまえば、苦悩から逃れられる。誰彼を責めるわけではなく、自分自身が力を失う恐怖と闘わなければならない。くたばってしまえば終わるだけのことだ。
今、自由への道が先逹者の書き残してくれている中から見えてきている。それを読み取る僥倖を噛み締めている。同じ道を歩く実感を味わい尽くしたい。生きている実感を記述された言葉から受け止めることのできる小説という形式。映画のように流れては行かない、動かすのは自分だからだ。さてその内部時間の後には何が来るのか?しばらくして書き始めることに転換する必要がある。
あえて男という規制に従うことにした。それは自然的現実であり肯定からしか生きられない。これまで「文化」という規制を甘く見ていたようだ。そのことをこのサイトから学んだ。