開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

今ぼくの背中を押す流れ

毎日同じことの繰り返しのようで、気づかないように少しずつ自分が変化している。突然何の予兆もなくちょっといつもとは違った気配が現れる。内面のどこかからふっと漂ってくる、懐かしい感じ。ああ、これはぼくが屋根裏部屋のような自室に閉じこもって、夢想に目まぐるしく身を任せていた頃の雰囲気だ。今はもうあの頃書き付けていたノートはなくなっているが、孤独で甘い詩情はどこかに沈殿していて、今日何かの拍子で浮かび上がってきたのだろう。それは誘いのサインかもしれない。その誘いに乗ってみようじゃないか。何よりも身を任せられるのが最高の豊かさに通じると思う。恩寵のような詩情に無意志で臨もうじゃないか。その流れは本当の自分の在りかに繋がっていそうな気がする。少しも寂しくはなく、少しも退屈ではなく、自由で無限定で、静かだがエネルギーは燃えている坩堝に降りていくようだ。時間がないような感じだ。(つまり過去も未来もない、ただ無限の現在があるというような。)誰にも合わない場所のような気がする。もう一人の自分が迎えてくれているような場所だ。探究するだけの、次々に発見があって、こころが成長して、理想の自分が姿を変えて待っている場所。少し偉大な哲学者に似ているかもしれない。ロマン主義に誰もが我を奪われて、熱情に身を任せているあの歴史上の場所に迷い込むかもしれない。自分の意志は効かないのだから全く無力なのではあるが、念ずれば流されて近づいていけるかもしれない。できればベルエポック時代のパリに流れつきたい。人はどうしても快感を感じる方へ流される性質がある、と聞いている。あの頃、屋根裏部屋のような自室で感じた快感に通底する、迷路のような場所に導かれる予感がする、、、

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