開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

文学と人生

定年後無職で妻と二人でその日その日を気ままに暮らしていて、一番にやることといえば自分の人生を振り返ることになっている。その時思うのは、多分書くことが今の生活の主軸になっていることもあって、文学がぼくの人生を支えてきたという感慨である。人生を支えてくれたということの中身を書き出してみると、一番には苦境に陥った時の、自分らしさを失うことなく保てたことが大きいと思う。サラリーマン時代には誰も心を許す友人などはいなかったので、文学の中に友人の代わりとなる人物を求めていたように思う。友人よりももっと心強い存在の思想家とか、先行する師を求めていたという方が実情に近いかもしれない。多くのサラリーマンから支持されていた司馬遼太郎なんかも読んでいて、「竜馬がゆく」で初めて東京と金沢以外の全国の市や町にどんな過去があったかが見えてくるようになった。大変お恥ずかしい話ではあるが、日本史を教科書では学んでいるものの、自分の心の中に存在していなかったので自国の重みが感じられず、知らないことばかりということの「存在の軽さ」がある時、驚きをもって感じられた。俺はこの歳で自分の生きている場所や歴史のことを何も知らないぞ、という気がしたのを覚えている。高知県和歌山県に何があるのか、サラリーマン当時の自分は無明だった。「竜馬がゆく」全巻を読み終えてようやく、日本が見えてきたというのがぼくの場合、紛れもない事実なのである。変な例えで余計分からなくなるかもしれないが、越前そば(おろしそば)の味に出会うまでは福井県が分からなかったと同じ感じだ。何かがきっかけで自分の「中」に入ってくるまでは、自分にとってそれは疎遠で存在していないことと同じなのであった。文学はぼくにとって、人生のシュミレーションで、きっかけとなった。

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