開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

トロツキーの本を読む

昨日からどういうきっかけか、ぼくの本棚からトロツキーの「ロシア革命史」を取り出して70ページほどを読んでいる。その本を手に取るまでは柄谷行人の「トランスクリティーク」をペラペラと序文のあたりを読んでいた。1989年にソ連が崩壊する事態がこれまでの思想の構えを転換させるに至った経緯を読んだ。マルクス主義への批判が意味をなさなくなり、マルクス主義の再構築が課題となったということだった。ある意味自分自身の世界観の中で、ソ連に代わる「ソヴィエト」が必要になったのだとぼくには思われた。

そこからおそらくぼくの頭の中で、そもそもソ連はどのようにしてできたのかと考えたのだと思う。あんな途轍もない歴史的大事業を成し遂げて、労働者大衆が権力をとって70年ほど国が存在していたことの驚異のドラマを見たくなったのだった。ぼくが学生の頃、トロツキーの革命家としての弱さをまるで我がことにように、親しみを持って語る年長の医学生がいた。顎髭が似合っていて、おそらく天然のパーマがかかった頭髪と一体になったように見え、黒縁のメガネの奥の目は鋭かったが、ぼくとばったり会った時は急に優しい目になるのだった。いかにもインテリ風で日本人離れしていたが、その人は革命家としてのトロツキーを自分に引き当てて考えていたが、ぼくの方は文学者としてのトロツキーに惹かれていた。その当時の「革命家」には主体性論が身についていたが、ぼくの方は文学マニアの「乗り移りの論理」を方法論にしていた。

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