開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

文学に対する無知

文学の役割は何か、という問いが浮かんで「文学の役割」で検索してみると、役割を社会的役割や教養というタームでとらえている記事ばかりが目立った。文学通の人たちの界隈で、かつて純文学論争というのが大塚英志笙野頼子の間で戦わされて、文芸評論家の小谷野敦大塚英志を文学に無知な男として退け、返す刀で笙野頼子大塚英志の犠牲者だとしていた。小谷野敦が文学と認めるものをぼくもなんとなく感得するのだが、それを言い表すことは難しい。おそらく文学に対する無知な人が、文学の役割を考えようとするとネットに見られる多くの認識になってしまうのだと思われる。日本の政治家が文学を理解しているとは思えないので、人文系の学部を廃止しようと考えるのはもっともなことだが、フランスの文化大臣であったアンドレ・マルローや駐日フランス大使のクローデルぐらいの人物が日本にいて、それを制することがあるとは残念ながら思えない。

文学の役割は自由に生きる人にしか分からないのではないだろうか?自由の価値が社会的にも国民的にも認められるフランスやドイツでは、おそらく文学の無知はごく限られて人にしか存在しないだろう。ひょっとしたら、文学の役割を社会やマーケットでしか見れない人は、日本文学だけを見て世界文学を見ていないのではないだろうか。まさかそんなことはないとは思うが、世界文学の読者は少数派には違いない現実がある。芸術家は国家公務員で生涯経済的に保証されているロシアは、国民の多くは文学にも理解を持ち、芸術を支えているものと思われる。何でもそうだが、国民が最終的に知の水準を決めていると思う。

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