開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知るために、そしてそれを解くために。

アルカイックスマイルではない

百済観音の微笑み」の謎を調べようとしているうちに迷路にはまりそうになった。類似の微笑みに出くわしたからだ。例えば、法隆寺の「救世観音」や中宮寺の「菩薩半跏像広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」などである。これらはアルカイックスマイルという美術様式の範疇で総称されているらしい。百済観音もその中に入るのだろうが、そうしてしまうとボケてしまって謎の追求がぼくとしてはできなくなってしまう。法隆寺の「救世観音」に至っては、有名な梅原猛の「隠された十字架」がある。百済観音像は仏像としてしまうにはあまりに生気が感じられる。他の仏像とは違って、微笑みに生気があってその清浄さには嘘のない信頼感がある。孤独ではない、と言っていいかもしれない。温情があって気品がある微笑みは唯一のものだ。この唯一の感じを大切にしよう。拡散してモナリザの微笑みにまで比較対象を広げてしまう(実際にそういう研究もあるらしい)と、時間と空間の限定が外れて歴史的な探求ができなくなってしまう。ぼくとしては百済観音の製作者=彫刻家(僧侶でもある)という主体と、唯識仏教に基づく観音という対象を厳密に限定したいと思う。そして当時の日本という国づくりに芽生えようとするエネルギーを追体験したいと思う。それがぼくの進む道だ。

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