開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

親不孝の罪

定年退職の有り余る時間を自分の過去を回想することに使ってきて、自己嫌悪に悩まされる日々が訪れている。有り余る時間がそれを強制するように流れる。出世までする必要はなかったとは思うが、決して裕福でなかった家庭から大学まで出させてもらったわりには、あまりにも返すものがなかったと思わざるを得ない。いつ頃からか、いつの時点からぼくは親不孝の罪を負うようになったのか。小学校までは両親とは愛情の中で共に暮らしていた。そのころの写真を見るとぼくの家族はみんな笑っていた。大学に行って左翼思想にかぶれた頃から、両親はぼくに怯えるようになった。やはりあの時に決定的な隔たりを作ってしまったのだろう。親らしい言葉と息子らしい言葉を同時に失ってしまって、それは取り返すことができないものだったことがその後の余所余所しさが消えない常態からわかる。父が不慮の事故で死んだ時もぼくは泣けなかった。最後の電気ショックの蘇生処置も効かなかった時、まるで演技をするように医師の立ち並ぶ緊急処置室から抜け出した。あの時どうして我を忘れて泣き叫べなかったのか、このことがこれから何度もぼくを苦しめることが予感できる。