開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

「死霊」第5章までを読む

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昨日、「死霊」5章までを読んだ。4章までは割合抵抗なく読み進められた。どれだけ理解しているか自信があるわけではないが、少なくともまるっきり分からず眠くなって途中放棄することはなく読み進められた。作中展開される風景はほとんどモノトーンの絵画の中を楽しむ感がした。また登場人物の動作も幻想的な非日常時間に支配されて映画のようであった。観念や論理が人物によって肉体を持たなければ小説にならないのだから、作者の工夫は深い文学教養に裏打ちされている。おそらく豊多摩刑務所での気の遠くなるほどの無限時間が脳内に染み込んでいるのだろうと思われた。

さて5章に入って本格的な革命理論が三輪兄弟によって展開されるのだが、流石にこれは理解不能だった。ぼくが大学1年次で左翼小児病にかかり、「死霊」以外の埴谷作品を読んで仲間の先輩に面白いと伝えた時、埴谷は難しいぞとたしなめられたのは、おそらく「死霊」5章を念頭に置いてのことだったのではないかと思われた。革命家でなければピンとこない問題が提出されていた。例えば、存在の秘密が三つあり、<終わりから始められぬ>、<巨大な無関係>、<最高存在こそ存在に他ならぬ>とされる。残念ながら分からなかった。しかしここで止まることなくとにかく先に進むことにした。するとさらに理解のハードルが上がった。今度は抽象論理ではなく、具体的でリアルな共産党幹部内のスパイ査問リンチを思わせる場面が登場する。正義による暴力の肯定とも取れる問題に付き合わらされる。連合赤軍のリンチを小説でも読んでいる者からすると、それ以上にリアルだった。ネット上には「死霊」の感想を寄せる若い人も確認できるが、理論は分からなくてもこの暴力部分はショックを受けるはずだ。それでも読もうとする読者が多分いると思う。それが文学という自由空間内であることの効力なのだろうか、、、

<参照> 読書メーター(5章含む)

bookmeter.com