今日妻とテニスを1時間楽しんだ。体が軽くなり頭も冴える。しかしどういうわけか、心は空虚だ。このまま何事も成せずに老年期に入っていくのかと思うと、虚しくなる。小説を読んでも青春期に還っても虚しさが消えることはない。自分の物語はまだ作れていない。今日は本が読めなかった。三度の飯は美味かったし、膝の痛みも消えていたし、母にも電話してコミュニケーションはとった。しかし心は満たされず、仕方なくぼうっとしていた、、、思索のような時間が来るのを待っていた。すると、「死への先駆」という言葉が浮かんできた。ハイデガーだった。「死への先駆」がいいかもしれないと一人ごこちた。自分の死を準備しよう。時間だけはたっぷりある。私とは何か問題につぐ、人生の大問題が、死とは何かだ。自分の死だけが真に問題になる。他人の死は他人の痛みが結局わからないのと同じく、分からない。身近な人の死には他人として直面はするが、体験はできない。父の死と岳父の死に直面はしたが、自分の死以上に捉えることはできなかった。これからしばらくハイデガーを読んでいこうと思う。