開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

関係が薄くて淡白な日常

昨日、ある事情から唯川恵の「淳子のてっぺん」を読み終わった。登山家、田部井淳子をモデルにした長編小説だ。(本人に了解をもらって小説にしている。だからノンフィクションやドキュメンタリー、評伝ではない。)登山家を山屋と業界用語で言うらしい。山登りを極めようとする人は生涯を山と過ごし、命の危険を犯してまでも次の登山に挑戦し続ける。山男、山女の世界はこんなにも熱くて濃厚な世界なのかと、小説を読んで初めて分かる。どの世界もプロとして極めようとすれば一生涯をその世界に捧げることになる。女性で世界で初めてエベレスト登頂に成功するという快挙を成し遂げる背景には、部外者には想像できない困難がある。困難を知りながら困難に向かおうとするのは、自分を試したいからみたいだ。小説中に(事実に基づいて)事故で何人も死者が出ている。恋人を突然の雪崩で無くしたり、落雷で30人くらい一度に高校生が死んだりしている。ある山岳会は新人会員を一度に多く入れてしまったために、防げたかもしれない事故を招き遺族に責任を追求されたりする。読み終わって感じたのはつくづく自分の人生が安全志向で、自分の責任が追求されることのない世界で生きてきたという感慨だった。危険と隣り合わせでないと命は燃えないというのが真実なのだろう。さて、なんともだらしなく過ぎていくこの退屈な日常にあって、出し惜しみすることなく全身全霊を捧げる生き方ができるものだろうか?