開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

左翼と右翼

大江健三郎は最初からすごかった。右翼青年山口二也をモデルに「セヴンティーン」と「政治少年死す」を描いた。今日読んで久しぶりに小説で震撼する経験をした。対して三島由紀夫は左翼少年を描くことはできなかった。「政治少年死す」は長らく右翼の抗議で出版されなかったが、「大江健三郎全小説3」で読むことができる。「セヴンティーン」はぼくが高校一年の時に、中学の同級生の女の子から勧められて一度読んでいる。その女の子は兄から教えてもらったらしい。定年退職後「日常生活者の冒険」を読んでいるが、この2作はそれより数倍面白い。文章もしっかりしていて文学的感興をもたらしてくれる。例えば、以下「政治少年死す」から引用する。

芦屋丘農場でおれは生まれてはじめて肉体労働を行う機会を得た、若い農夫の生活を行う機会を。おれは、人間みな、その生涯の一部分を農耕者としての太陽のもとでの労働について費やすべきだと思う。自分の生命を賭しての一事業を行う前には、農夫としての労働の日々が必須だと思う。おれたちは農耕の時を送りながら夕暮れの羊のように静かに従順にある一瞬を待ち望む。そして額に湧き起こり自然にまた乾ききる汗、足指のやわらかな筋目とふくらみを汚し、同時に清めてもいる泥、熱い筋肉の雪のように積もる疲労、空の太陽に優しく見張りをうけ、大地の裸の肉体のようにあらわな土に懐かしく受け入れられ、はやり立たず虚無的にもならず、墓場のために用いられることもある土の奥に柔らかくみずみずしい人間そのものように脆い種を蒔いて冬を越す信頼感、芽ぐみ実のり熟する大運動の軌道の成長感、それらすべてを頭上にいただき胸中に充実させて働く農夫的生活の中で、おれたちは待ち望んでいた天からの声《さあ、おまえはもう充分だ、行け!》を聴く、そしてその瞬間、おれたちはすべてを放棄して、排卵後の鮭のように身軽に、まっしぐらに行く!

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