開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

今日の反省から

読書会の仲間に自分の思いを伝えきれなくてモヤモヤが残った。自分の考えがまとまらないまま、仲間に成り行きでうまく引き出してくれるかもしれないという、期待があったかもしれない。でも都合のいい考えだった。ぼくは漠然と「文化力」という役所が考えたキャッチに引き寄せられていた。石川県は文化事業に助成金をだす政策があって、新規の文化活動の企画を公募して採用されればお金の支援が得られる。野々市市の担当者が応募して採用され、その企画の一部に講演会(トークイベント的な)があり、我々の読書会が手伝うことになった訳である。

そもそも文化って何だろうというところからぼくは考え始めた。経済的な生産活動とは違ってつまるところ「遊び」だとまず考えた。あるいは軍事にお金を使うのじゃなく、平和という物理的じゃないものにお金を使う訳だ。それこそ、世の中コロナで騒がしい中で、おめでたい無駄使いと思われても仕方ないようなことだ。でもそんなところが粋でぼくは好きで、金沢の文化力と言えないこともないと思う。(東京だったらしょっちゅうどこかの出版社か、大手書店などが商業的にトークイベントをやるだろうが、地方ではお役所が音頭を取ることになる。)

今世界中がコロナウィルス感染のリスク環境の中で、どう「遊ぶ」かをぼくは何となく潜在的に考えていたような気がする。それを仲間に引き出して欲しかったが、書くことの方がよかった。果たして作家の人たちや思想家、芸術家はどう遊ぼうと考えているのだろうか?あまり重々しくならずに、深刻にならずにのんびり考えられないものだろうか?ぼくは周りの大騒ぎを遮断して、一人っきりで自由に壮大に、妄想的に考えてみたい。