開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分の系譜をつくる小説読み

定年後の自分の人生をどのように過ごすかを、主に精神的な面を中心に考えて書いてみようとしてきたのがこのブログのテーマだった。よく言われるように定年退職後の人生は第二の人生なのだが、自分なりにとらえてみると「肩書きのない人生」と言った方が実質を含んでくるように思う。「肩書きのない人生」というとリタイヤ生活とか高等遊民的な生活やニート生活などを含んだ生き方に広がってくる。端的にいうと「遊び人」になる。ただちょっと違う気がするのは、定年後は夫婦揃ってが基本になるので「複数」が意識単位になる。吉本流に言えば「対幻想」が支配的な生き方になると思う。ただそれも不自由になっては困る。干渉し合わない自由を担保した上の「対幻想」だ。

ところで、定年後の人生でその第一を読書三昧に求めていたのがぼくの生き方だった。三昧という生き方が勉強と違って定年後ならではのあり方だった。読書三昧というと乱読のイメージがある。気の向いたまま、当てずっぽうで何の脈絡もなくということになって方向性を持たぬことになる。ただ方向性を持たずに車の運転はできないように、動くときには「どこか」へ向く必要がある。そこを20世紀の哲学者ハイデガーは「死への先駆」と言った。確かに確実に先にあるのは死であるから否定しようもない。終わりが来るのは確実だがいつ来るかを言い当てることはできない。存在が消えるのだから恐怖もある。その恐怖を飼いならさなければならない、そうしないと何も出来なくなるから。存在はこれも吉本流に言うと、関係の絶対性になる。死は関係の絶対性が消えることである。関係からの解放と言い換えられるかもしれない。解放を求めて自死を考えるネガティブな生き方もあるだろうが、それは生理的な拒否感がある。いやそれは複数の生き方に反するから自死はダメなのだ。

楽しく愉快に共に過ごすのが、定年後の生き方の理想だ。それは譲れないとして読書三昧の生活をもっと掘り下げてみたい。読書三昧の結果何がもたらされるかと考えると、「系譜」というキーワードが浮かんだ。雨が川の流れになって自然に「経路」ができるようなことだ。定年後の有り余る時間を使ってその川の経路を辿ってみようと思う。