開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

構築するとは体系をつくること

構築することに衝動を感じる意味を考えていたら、それは体系という整然とした形に集約されるからではないかと思えた。キリスト教の教会がケルン大聖堂のように、天に向かって伸びようとする衝動に形を与えているように、祈りが構築されていると感じる。哲学で言えば、ナポレオンに刺激されて自由な市民社会を哲学の形で体系化したヘーゲルにも、弁証法をもって構築しようとするエネルギーを感じる。その後マルクスヘーゲルの哲学体系を受け継いで資本論を書き、唯物論の世界観の体系を作り上げた。そして体系そのものに反逆して、構築すること自体を破壊してしまったのがニーチェだった。ニーチェのあと壮大な体系は姿を消してしまった。哲学ではなく政治が体系をつまり独裁国家を作ろうとして、ヒトラーが登場したのかもしれない。ここまでぼくの全くの妄想に過ぎないが、構築への衝動はナチズムやスターリニズムなどの全体主義を経験した後も姿を変えて現れそうな気がする。