今日ブログに自分の19歳のころを思い出して出来るだけあの頃の感情を再現しようと思った。それには具体的な自室という空間にタイムスリップするように、あの頃の部屋にいる感覚を五輪真弓の曲の力を借りて再現しようと試みた。もとより老いてゆく現在から青春の時期に帰って、青春をもう一度取り戻そうというような虚しい努力をしようとしたわけではない。あくまで現在の自分がサラリーマン時代の社畜根性をいわば浄化させるために、19歳の自分のイノセントな感情を再現させようとした。どれだけ成功したかはまだわからない。じわじわと効いてきそうな気もする。五輪真弓の曲自体はぼくが19歳の時に聴いていたものと変わらない。全く同じ曲を聴いている、しかし聴いている主体は歳だけが違っている。67歳のぼくと19歳のぼくは同じ曲で「融合」しないだろうか?五輪真弓の今日取り上げてSPOTIFYのプレイリストに入れた曲は、全然今も古びていなかった。それらはデビュー当時から二、三年の曲が多く、それ以降の曲はむしろぼくには古臭く感じるというか俗っぽく感じられた。五輪真弓の場合、少女の時のオーラの方が大人になっていく時のそれより強く感じられる。無邪気な自信が彼女を大きく見せている。それだけに「未成年」の時期はその人の人生にとって貴重なものと思う。ぼくの19歳のころをもう少し掘って行きたいと思う。