開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

人生の意味を考えること

多分ぼくだけじゃなくほとんどの人が、人生には意味がないか認められないと思っていると思う。ずっと小説を読んできて、人生は無意味だというメッセージばかりだったように思う。いわゆるニヒリズムがあたりまえになっている。ぼくが信じている仏教でも人生には意味がないと教えている。人生に意味がないのは事実というか、真実であると思う。でも、人生に意味はあると思ってはいけないのだろうか?真実ではない考えを持って生きてはいけないのだろうか?誰もその人の考えまで否定することはできないはずだ。思想信条の自由は、基本的人権として保障されている。人生に意味はないから、人生に意味を問うても無駄である、動物は無駄なことは考えないから悩まない等々。そのように正解を教えられたと多くの人が思っているだろう。

だがしかし、自分がどんな考えを持っても自由だとしたら、人生に意味はあるとぼくは思う。あなたがどう思うと、他人が人生に意味がないとして生きようと、ぼくはそう思わない。人生には意味があってその意味を考え続けられることは、人生を豊かにすると思う。第一、意味という言葉があるわけで、言葉で人間は生きている以上人生に意味はある、というのが自然ではないだろうか?要は、自分が決めればいいことのように思える。人生に意味はないと思うから悩むのだったら、人生には意味があると思って生きればいいだけじゃないか。さてぼくは人生にどんな意味を見出しているか、について考えてみたい。それを言わなきゃフェアじゃないだろう。良いと悪いの価値判断はやはりあって、良い人生を送って終わりたいと思う。良い人生を全うして生きたと実感できて死にたい。良いという価値が自分の生き方にあれば意味があり、なければ意味がない、、、

考えてみたら人生に意味はないと思って生きている人の方が少ないような気がする。それぞれに主観で意味を見出して生きている、というのが多数なのだろう。どうだろうか?もちろん人生に意味はないと思って生きることも誰も否定できない。