わずかな違いに意識してみることは、自覚に繋がるし自信になるかもしれない。おそらくぼくが気になる人のブログに出会って読み親しみ、その後ぼくとの「わずかな違い」に意識が移ってきているのだろう。それは書くという行為にどれだけ価値を見出しているかの違いのように思える。伝えたいことが生き方の場合、ポイントをわかりやすく伝えたいと思うと箇条書きという形式が使われる。確かに要約された結果が示される。それを読んで分かった気になるかもしれない。でも読んで分かっただけで終わってしまった場合、生き方が伝わったことにはならない。分かったことを自分でもその通りに実践してみなければならない。その時に出来るだけ結果だけではなく、プロセスも伝える必要が出てくる。プロセスも箇条書きで書くことができる。しかし繋がりは段階ごとに切断されていて、移行場面がリアルに掴みとれないというもどかしさが生まれる。
小説を読んで追体験することで分かることには、おそらく箇条書きなどでは伝わらない何かがあるような気がする。要するに結果だけを取り出すこと自体がどこか間違っている気がする。必ず迷っているプロセスがあるはずだし、悩むことを肯定的に捉えるかどうかという資質にも左右されるだろう。ぼくは無理にでも文章にする訓練を自分に与える。そうすることに意味があると考えている。