開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

穏やかな日曜の午後

今日は2020年9月20日。あなたにとって、今日はどんな日でどんな意味がある日なのだろうか?ぼくにとっては特別何も変わらない日曜日だった。別に意味なんかあるわけではない。けれど確実に何かが変化しているはずだ。ぼくを取り巻く人たちとの人間関係や生物体としてのぼくの肉体の変化や、風景の見え方や風の感じ方や気分の変化などがある。今日は懐かしい感じのする日曜日だった。サラリーマンだった頃は貴重な休息の日だった日曜日。夏の名残が肌に感じられ、秋が気持ちのいい冷気を運んでくるのをカーテン越しにソファーに寝そべって感じていた。午前中に仲間とテニスを楽しんで、家に戻ってきて最初に行う「儀式」が、玄関扉前の段差に妻と並んで座ってテニスシューズとソックスの中の砂を取り出すことだった。その間今日の調子を振り返ったり友人家族の噂をしたりする。これまで何回繰り返してきたことだろう。ちょうど今みたいな季節に、痛めた膝に水が溜まって街の整形外科に行ったら、1万か2万のMRIを撮るかどうしますかと言われ、そこに座って思案していたことがあった。大した怪我ではなかったけれど結局MRIを撮ることにし骨には異常なかった。肉離れを起こしたこともあったがスポーツにはつきもので、しばらく包帯を巻いて出勤してた時は少し誇らしかったくらいだ。30歳になる前に何かスポーツを始めたいと色々試していた時にテニスに出会った。それが今も続いていて、退職してからはスクールに通い出し、この前から個人レッスンまで受けるようになった。テニスは求道的である。頭で自分のフォームを隅々までイメージして改良を繰り返す必要がある。はっきりボールを打つ感じが納得できないと、自信を持って威力のあるストロークができない。今日は威力のあるストロークが2回できた。その時の快感はなんとも言えないものだ。今日という日の意味は、その快感を味わったことにある、としよう。

f:id:hotepoque:20180901175823j:plain  ※写真はあくまでイメージです