昨日に引き続いて、「淳子のてっぺん」から朗読する箇所を取り上げる。ぼくはこの小説がもともと田部井淳子のドキュメント(評伝)ではなくて、小説にしているところに唯川恵の作家としてのプライドのようなものを感じて興味を持った。例えがあまり適切ではないが、村上春樹が自身の小説にアメリカ文学が必要だったように、唯川恵には田部井淳子というモデルが必要だったと思う。実在する女性を自分の小説に取り込んで、いわば小説人格を作り上げる手法に変わっていったのではないかと思える。この小説のためにヒマラヤに行ったし、自ら登山を趣味にしているほどだ。だからこの小説を読むと読者も登山している気になれるほど、細部が具体的でリアルである。以下抜き出した箇所は、いわゆる山岳事故に遭遇した場面である。
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秋の深まりを感じるようになった週末、淳子は松永と土合の駅に降り立った。烏帽子沢奥壁変形チムニールートに登攀するためだ。
勇太は急な仕事が入って不参加。他の会員たちも都合がつかず、珍しく松永とふたりだけだった。もちろん不安はない。松永と一緒ならどこでも登れる気がする。歩き始めてしばらくすると、松永が言った。
「ちょっと、寄り道していいか」
道を逸れて松永が向かったのは、谷川岳で遭難した人の慰霊碑がある土合霊園地である。
「誰かの御墓参り?」
と、尋ねてから、ハッとした。勇太の話を思い出したからだ。高校生の時、ダイレクトカンテ初登頂を狙った時、パートナーと共に滑落した。松永は生き残ったが、相手は亡くなった。慰霊碑の前で、帽子を取った松永が頭を垂れた。淳子はその背中を見ていた。いつもと違って、どこかひどく頼りなげに映った。あの時、松永と同じ時間を共有したパートナーは十八歳のままここで静かに眠っている。そして、幸運にも助かった松永は一の倉沢を登り続けている。生と死。その対比はあまりにも鮮明だった。
「さあ、行くか」
松永が振り返った。その時にはもういつもの飄々とした表情をしていた。
一の倉沢に入った頃から霧が流れ始めた。水分を多く含んだ霧である。沢を抜けた時には、霧は小雨に変わっていた。一枚岩のような岩盤のスラブが濡れ、岩肌は不穏なテカり方をしている。こんな天候だというのに、今日はいつもに増して登山者が目立つ。すでに数組のパーティが登攀を開始していた。
ワンビッチ目を難なくこなし、二ピッチ目にかかった。ここは岩場のトラバース(斜面横断)だが、松永はそのまま上に登って行く。ザイルが水分を含んでごわごわになり、出が悪い。それを考慮しての選択なのだろう。
雨はやがて本降りになり、岸壁を伝って水が流れ落ちてきた。雨具は来ているが、襟元や袖口から入ってきてアンダーウェアを濡らしてゆく。先を行く松永を見上げていると、目にも雨が入って何度も瞬きしなければならなかった。
「よし、いいぞ」
ようやく声があって、スラブを登り始めた。濡れた岩がひどく滑る。指先に力を込めたが、あまり力を入れすぎると今度は指の動きが鈍くなる。そのさじ加減が難しい。松永のルートを通って、数メートルほど登った時だった。
がちゃがちゃとアブミの当たる音が聞こえた。同時に、わあっ、と叫び声が上がり、思わず声の方を振り向くと、南稜のクラック辺りで人の身体が宙に浮くのが見えた。そのまま身体が真っ直ぐに落ちてゆく。身体は岩にぶつかったかと思うと、人間とは思えないほど大きくバウンドし、更に下へと落ちていった。手と足が違う方向に飛び、岩肌に血しぶきが広がるのが見えた。
もう動けなかった。指先が強張り、足に力が入らない。淳子はぎゅっと目を閉じ、岩にしがみついた。そうするのが精一杯だった。
「石坂、大丈夫か!」
頭上から声がかかった。それにも答えられない。
「顔を上げろ、俺を見るんだ」
淳子は恐る恐る目を開いて、松永を見た。目が合った。
「余計なことは考えるな。そのまま俺に向かって登って来い。おまえは登れる。絶対に登れる。俺が付いてる」
淳子は頷く。松永の言葉は、淳子にとってふたりを繋ぐザイルそのものだった。それさえあれば必ず登れる。何も怖がる必要はない。自分に言い聞かせながら、慎重に岩を掴み、足を進めた。何も考えなかった。松永の待つ場所へ行く。ただそれだけを考えていた。岩盤を登り切り、ようやく松永の待つテラスにたどり着いた時、淳子はその場に崩れるように座り込んだ。顔からはすっかり血の気が引いていた。
「よし、よく頑張った」
身体の震えが止まらない。松永が着ていた上着を脱いで淳子に掛けてくれた。肩にかかる温もりが、今まで感じたことのない切なさをもたらした。ふいに涙が溢れそうになり、淳子はきつく唇を噛み締めた。