開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

中に入れなかった小説

読書会で取り上げられたので読むことになった三島由紀夫作「蘭陵王」。読書会では当然読んだ感想を求められる。ぼくの小説の読み方は、作品中の登場人物の内面に入り込んで、大概は主人公と共に思考や行動に寄り添うように、いわばのめり込むようにするのだが、この小説ではそれができなかった。最大の壁は三島の男色的芸術志向なので、どうしても離れていたいと思ってしまう。でも谷崎潤一郎は三島の志向と違うので大丈夫なのだ。などと偉そうなことを書いているが、単に熱心な読者にはなれないというだけのことだと思う。でも読者は日本ばかりでなく海外にもかなりいる。その人気の源泉がぼくにはよくわからない。蘭陵王は美貌の武将で、戦闘時には美貌が邪魔になるので醜悪な面をつけて戦ったらしい。その面の外側と内側の二面性に魅せられて三島は興味を持ったのだろう。ぼくとしては戦争に魅せられることがそもそもあまりなく、戦いと死に美的な要素を持ち込むことに生理的な違和感がある。でもそうでない人も多くいるし、この小説の舞台となっている「楯の会」の軍事演習に共感をもつ人もいるのだろうと思う。しかし現実の特に現代の戦争は、一切美的なものはない。百歩譲って、義のための戦争ならまだ理解はできるが、美のために死ぬというイメージはどうしても持てない。