開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

書くとは「こころの故郷」を見つけること

なぜ書くかという動機について改めて考えておきたい。その動機に再び出会うことでこのブログを書き続ける意欲を持ち続けたいと思う。なぜ書くかの問いに、発見することがあるとサルトルは「文学とは何か」の中で述べている。書いて発見することがあるのと、発見したことを書いて固定したいという欲求がある。それと今自分が書こうとすることには何かがあるはずだと予感して、それを探求するために書こうとすることがある。ぼくが今書こうとしているのは、「こころの故郷」という観念を巡ってのことだ。その観念はサラリーマンデザイナーだった時に、クライアントの農業法人の方との出会いの中でつかんだものだった。農業には日本のふるさとの原風景や温かい人間関係が残っているように感じたのだ。それは単なる消費者として接する以外の、単なる業者とお客の関係を超える、家族のような関係に幸せにもなれたことが大きい。ぼくはデザイナーとして農業の最良のイメージをデザインに反映する必要があった。その最良のものは、農家の人たちの分け隔てのない付き合い方に現れていた。ぼくはデザイナーとしてつかんだイメージを文章として表現し、定着したいと思う。それは今では失われてしまった、日本の古き良き共同体の慣習のようなものかも知れない。祭りのようなハレの目に見えるものは、その精神を失って外形だけが形式的に現れているだけと思える。哲学的な表現になるが、もっと当たり前の日常に「永遠の今」を感じさせる温情みたいなもののことを言いたいのだ。そこに流れる時間のことだ。それはもう書くことでしか再現しようのないことのように思える。

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