昨日ブログで、人生無意味と感じる人が多いのに対して、意味をつくればいいと書いた。その時は意味を感じられるには自分が成長する必要があり、与えられた自分の人生という過去を大事にして、そこから自分なりの意味をつかんでいくというのが「回答」のつもりだった。意味をつくるというよりは、過去から意味を救い出すというイメージだった、、、何か言い尽くしていない感じが残った。「見出す」と「つくる」は違う。端的に意味をつくることとは何かを言い当てていない気がした。
結局、意味とは何かに突き当たる。意味がないと感じる時、行動の理由や判断の根拠のことで、それを探しても見当たらない時そう思うだろう。言葉にしてみると、やはり生きるのは何故なのかという問いに行き当たる。それにはぼくは答えを出している。人間は生物だから、という身も蓋もない答えだ。極論すると意味とは言葉であり、人間だけが言葉を持つから、意味も必要になるというだけのことだと思う。
重要なのは納得ということのような気がする。納得されなければ理由として認めてもらえないのだ。最愛の人が死んだ。その原因と理由を納得するまで探すだろう。簡単に答えは見出せないとしたら、自分の納得が本当の納得にまで行き着くように、ある人は一人称の小説を書くかもしれない。