開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分が大事にされたこと

自分のことを書くことは真実に降りていくことだ。これから書くことは涼しい顔をして何事もなかったように日々を送っている自分を晒すことになる。こんな世間知らずのいい歳をした男が同じ時代にいてわざわざサンプルになるのを、偶然誰かがこれを読んで多少感じるところがあったらそれでいいと思う。

 

 定年退職して居場所がなく、自分がどこにいるか分からなくなった時、自分の青春に帰ろうと選択した事は正しかった。おそらくぼくと同じようにサラリーマンだった人は、会社という組織を個人より優先させ、他人の目を気にする社会人になろうと努力してきたと思う。自分がすでに自分にとって他人になってしまっていたという感覚にほとんどの人は気がついていないと思う。どうしてそのことが分かるかというと、ぼくがあることを退職後経験して自分というものを取り戻したからだ。

それを一言で言うと、自分が大切にされたことだ。長い長いあいだ、ずっと自分が大切にされずにきていたことに気づいたのは、幸いなことに思いもかけなく自分が大切にされたからだった。一人の人間として、一人の男として受け止められること。二人の女性を苦しめたことで自分が分かった。自分のために苦しんでくれたことが分かった時、どうしようもない愛しさと同時に嬉しさが湧いてきて、ぼくは罰を喜んで耐え忍ぶことができた。兎にも角にも感情はそれを求め、自分が生んでしまった傷は自分のものだったから、、、

手紙ではないのでメールのやり取りは文通とは言わないのかもしれないが、Aと一年くらい毎日のようにメールで文通していた時期がある。その頃、ぼくの母親が黄斑変性という目の病気で手術することになった前日、実家に泊まり込んだ時も携帯に母を気遣うメールをくれていて、その時のメールは心温まる親密なものになった。実際Aのメールに書かれる言葉には熱がこもっていた。それは彼女自身の体温から来るもののように感じられた。

最初はぼくから電話したのだった。職場にかけたのでほんの少ししか事務的に話しただけで、本当に話したかったことはメールにすることに決めていたような感じになった。その日の夜に携帯の番号にメールして、長いメールのためにお互いのパソコンのメールアドレスを教えあった。電話したのは昔をどうしても思い出したかったからだ。もう時効になって普通に話ができそうに思ったからだった。

ぼくが26の時にAに結婚を申し込んだことがある。今から思えばタイミングが悪すぎた。というか、タイミングなどおかまいなしに一方的にぶつけただけだった。彼女にしてみれば高校卒業以来東京に出てぼくとは長らく離れていたのだから、そんなこと突然に言われてもぼくとの結婚なんて想像できなかったことだろう。よくよく考えてみると、その当時のぼくは何か精神的に追い詰められていたような感じがする。結婚しなきゃいけないように思い込まされていたのだ。どうしてだろう。今ならいくらでも時間をかけてその理由を探れる。何しろAにメールしたのはぼくが会社を3年前に定年退職していて、時間なら有り余るほどあったのだから。

もう少し時間をかけて、あの当時ゆっくりAと付き合っていたら違った人生が送れたのじゃないかという思いつきが、結婚を申し込んでから39年後に、結婚して長男がもう成人になっているAの職場に大胆にも電話をかけさせたのだった。それはぼくの妻には内緒にしていた。妻はまだ定年前で働いていた。妻が会社にいる間はぼくは一人で自分の青春を振り返ろうとしていた。メールだけだったら妻にバレることはないと高をくくっていたのがよくなかった。しかしそのメール文通の1年は掛け替えのないものに思えた。