開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

居心地のいい場所を求めるのではなく

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居心地のいい場所を求めるのではなく、ここを居心地よくすることを考える。どれくらい前だろうか、つい最近までのような気もするけど、いつも居心地のいい場所を求めて心は満たされることがなかった。東京には気の利いた場所がある気がしていたが、東京には思い切って行けなかった。東京は無関心な人ばかりだけど、雑踏に紛れていると心が休まったりする。あれは東京であったデモの帰り、憔悴しきって電車に揺られていると、すぐそばから「どちらに行かれるのですか」という女性からの声がした。混雑した電車の中で少しばかり金沢の話をした。顔を見ることはできなかったが、声の感じだけで温かいものが体に入っていくように感じられた。とても小さな出来事だったけど今も覚えていてなんだかとても貴重なことのように思える。そういえば(ぼくの中だけ連想が繋がるのだが)ぼくの学生だった頃にあった、JAZZ喫茶のようなうす暗い場所は完全に消え去ってしまったかのようだ。定年後になってからよく読んだ村上春樹の小説の中は居心地が良かった。小説を読んでいる間は、ここを忘れることができた。小説の中にはなんでもあり、ここには何もないように感じられた。

ここは自分の身体のせいぜい数メートル以内の場所のように思える。しかし、この場所を支える大地はどこまでも繋がっている。空気もそうだ。自分が移動すればここも移動する。自分だけが場所を占めるわけにはいかない。誰かとすれ違って、たまたま目が合うとこんにちはと声をかけられるかもしれない。それは小学校の女の子だったりテニスコートで同好の士とだったりした場合だけだが。

居心地の悪さは、つながり感がないからだと思う。では、つながり感を持つにはどうすればいいだろうか?自分が他者から愛されることもある存在だと思えることじゃないか。他者という存在がいつも自分の周りにいて、決して見捨てたりはしないと信じられることだと思う。そういう思い込みを自分に許すだけの自信を持つ必要があると思う。

君は自惚れたっていいんだぜ。

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