開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

サラリーマン中年で文学と再会

私のサラリーマン生活は24歳から62歳までで、38年間になる。大学は美術大学で3年次自主留年して5年間在籍した。地元に残り数社回ったが雇ってくれるところはなかった。結局祖父のコネからY社入社が決まりかけていたが、不況からY社の下請けの小さな会社に入社試験もなくお世話になることになった。当時50人くらいの規模の印刷会社だった。社員数は30年間で3倍になったから順調に成長してきたといえるだろう。私は結婚した年から2年間営業の経験はあるが、小さいながらもずっと企画部門にいた。社内出世に興味がなかったので営業部の下でスタッフとして使われていた。40を過ぎた頃から自分が上からコントロールされているように感じ始めた気がする。出世したくないから構って欲しくはなかったが、それは許されないことだったみたいだ。入社した時から会社とは一定の距離を保っていたが、その頃から次第に自分に引きこもるようになった。ひょっとして自分の選択が間違っていたかもしれないと思い始めていた。この会社に入るべきではなかったと思い始め、転職も真剣に考えるようになっていた。

今から思うと自分の才能に対する判断が一番難しかった。40歳くらいまではデザインの才能で何とか仕事をこなせ続けられたのだが、それ以上は無理だった。その時私の人生の転機が訪れていたのだと今だったら分かる。自分の活躍の場所をその業界から移るべきだった。美術ではなく、文学に移ろうとした。高校時代に世界文学全集を読みふけっていた頃が思い出された。夏目漱石トルストイロマン・ロラン大江健三郎が懐かしく感じられた。結局大きな環境の変化は目指さず、高校からの友人と小説の読書会を会社の外に持つことにした。それはワクワクし熱中できる、私の人生で最も高揚できた時期になった。