開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

読書と私

本を読み、文章を書くことで何者かになる___本を読んで内面が作られ、文章を書くことで私が主語として立てられるからです。高校に入って世界文学全集を読み始めた時、面白くて一冊読み終えると次はこれと読み進んでいき、だんだん自分が大きくなるような気がしていました。初めて内面という空間が自分の心に生まれ、言葉がどんどん増えていくことが楽しくて仕様がありませんでした。最初は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」でした。それは実際の青春を経験する前に、架空の青春を味わわせてくれました。初めて小説というものを読んで主人公と自分を同一視するのは、自然なことでした。ゲーテという作者がいて、ドイツ語で書かれたものを日本語に翻訳する翻訳者がいることは、その当時は気がつかないのでした。時代背景や国や言語の違いや、そもそもゲーテという文豪と高校生の自分との間に、あまりにも隔たりがあることをわきまえないで読むことに夢中になるのは、思春期なりの錯誤を産むものでした。ヘッセやスタンダールロマン・ロラントルストイ辺りまでは常識を外れることはなかったと思います。ドストエフスキーやカミユになってくると高校生がのめり込むには「危険」だったかもしれません。今から思うと当時の私は自分を見誤っていて、自分をヒーローのように思っていたかもしれません。大学受験にもし受かっていなかったら、今で言う「引きこもり」になっていたでしょう。あの当時はいわゆる乱読状態で、読んだ感想を文章に書くことはありませんでした。その一つでも感想を書き出していれば、自分と作者の間の隔たりの大きさに目も眩む体験をしただろうと思います。

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